「“朝活=早起き”だと思ってる?」その思い込み、今すぐ捨てていい

「朝活したいなら、まずは早起きでしょ?」

なんとなく、そんなふうに思っていませんか?
もしくは、誰にも言われてないのに、勝手に「朝活=早起き」を自分に課している感覚。

私もそうでした。
早起きができない自分は、「朝を活かせていない」「意識が低い」って感じて、
勝手に自己嫌悪に陥っていました。

でも、ある日ふと思ったんです。

「そもそも、なんで“早起きしなきゃ”って思い込んでるんだろう?」

朝活って、早起きしないとダメ?
もっとゆるくて、自分に合った朝でもいいんじゃない?

そんなふうに、“朝活=早起き”という思い込みから自由になったら、
朝に感じていたプレッシャーが、ふっと軽くなりました。

目次

何度も早起きに挑戦して、何度も挫折した

「明日こそは早起きして、朝活してみよう」
そう決めて寝る日の夜は、なんだかワクワクしてる。

でも翌朝は、アラームを止めて…気がついたら1時間後。
起きられなかった罪悪感だけが残って、また1日が始まってしまう。

私、これを何度もくり返してきました。

“早起き=正解”だと思い込んでた

ネットで「朝活の成功法則」とか「朝4時起きの習慣」とか見るたびに、
「それが正しいんだ」って無意識に刷り込まれてたんですよね。

「早く起きられない私はダメ」
「こんなんじゃ理想の朝を手に入れられない」
そうやって、自分で自分にダメ出ししてた。

でも、実はこの“正しさ”こそが、
私の朝活を何年も止めていた原因だったのかもしれません。

“早起き”じゃなくても、朝は始められる

「朝活=早起き」の思い込みをやめたら、
なんだか少しだけ、心が軽くなりました。

起きた時間が6時でも、7時でも、8時でも。
たとえ目覚ましを3回止めてしまっても、
起きた“その瞬間”からが、私の朝のスタート。

朝活って、「何時に起きたか」じゃなくて、
「どんな気持ちで朝を迎えられたか」が大事なんじゃないかと思うんです。

白湯を飲む。
窓を開けて深呼吸をする。
スマホを見ずに、3分だけぼーっとする。

そんな風に、起きたあとの“ちょっといいこと”を1つでもできたなら、
それはもう、立派な朝活なんじゃないでしょうか。

「朝活=早起き」のイメージ、どこから来たんだろう?

そもそも、なんで「朝活=早起き」って広まったんでしょう?

おそらく、SNSや自己啓発系の本・記事で
“成功者はみんな朝4時に起きている”
“朝の時間を制する者が人生を制す”

そんな言葉が、何度も繰り返されてきたからかもしれません。

確かに、静かな時間に集中できる早朝は魅力的。
だけどそれが「早く起きられない人=意識が低い」みたいな空気を生んでしまったとしたら──
ちょっとしんどいですよね。

朝活は、誰かのための“理想像”をなぞる時間じゃなくていい。
自分にとって気持ちのいい朝をつくるだけで、それは立派な「活」だと思うんです。

“早起き”じゃなくて、“ちょうどいい朝”を決めよう

「何時に起きたか」よりも、
「どんなふうに朝を迎えたか」が大切。

そう思えるようになったら、朝がちょっとやさしくなりました。

ここでは、早起きじゃなくてもできる
“ちょうどいい朝活”のヒントを紹介します。

たとえばこんな「ゆる朝活」なら今日からでも

・白湯をゆっくり飲む(→ [白湯の記事にリンク])
・窓を開けて深呼吸を3回
・朝ノートに1行だけ書く(→ [朝ノート記事にリンク])
・その日の予定を口に出して読む
・ゴミ箱に何かひとつ捨てる(=リセット習慣)

どれか1つでも、「今日できたな」と思えたらOK。
それが、あなたの“ちょうどいい朝”のはじまりです。

“朝活=早起き”じゃなくていい。そう思えたら、朝が軽くなった

「早起きできない自分」にずっとダメ出しをしていたけど、
今は、起きた時間が何時でも「ここからが私の朝」って思えるようになりました。

白湯を飲んで、深呼吸をして。
たったそれだけで、「今日を始められた」って思えるなら、
それってもう、十分すぎるほどの朝活じゃないでしょうか。

誰かの朝に合わせなくていい。
あなたの朝は、あなたが決めていい。

“朝活=早起き”という思い込みをそっと手放したあと、
あなたはどんな「ちょうどいい朝」を始めてみたいですか?

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