アラームが鳴って、スマホを止める。
しばらくぼーっとして、また目を閉じてしまう。
「やばい、起きなきゃ」
でも体が動かない。
そんな朝、ありませんか?
私にはよくあります。
“今日はダメかもしれない”って思う朝。
そんなとき、以前の私は、
「どうしてちゃんとできないんだろう」って自分を責めていました。
でも今は、少しだけ違います。
何もできなくても、まず“ひとつだけ”やってみる。
それだけで、朝の空気がすこし変わる気がしているんです。
「今日はムリかも」と思う朝に、全部やめたくなる
やろうと思っていたことがある朝ほど、
起きられなかったときの落ち込みは大きい。
「今日こそノート書くって決めてたのに」
「白湯飲もうと思ってたのに」
「朝活リズム、また崩れた…」
1つでもこなせなかった自分に、
“今日はもう全部ダメだ”ってレッテルを貼りたくなってしまう。
そのままスマホを見続けて、
気づいたら家を出る時間。
自己嫌悪だけが残る朝──。
でも、そんなときこそ大事なのは、
“完璧に立て直す”じゃなく、“ちょっとだけ戻る”ことなのかもしれません。
そんな朝に、私が決めてる“ひとつだけのこと”
「今日はダメかも」と思った朝に、
私がやると決めているのは──
“カーテンを開ける”ことです。
たったそれだけ。
でも、これだけは“できる朝”が多い。
カーテンを開けると、朝が「始まってもいい」気がする
部屋の中に光が入ってきて、
窓の外の空気が目に入ってくる。
それだけで、
「朝って、まだやり直せるかもしれない」って思える。
ちゃんと朝活しようと思って起きた日は、
何もできなかった朝よりも、
「カーテンだけは開けられた朝」のほうが、気持ちが軽い。
“完璧な朝”じゃなくても、ゼロじゃないと思える
白湯も飲めなかった。ノートも書かなかった。
でもカーテンは開けた。
それだけで、「私は今日も、自分に戻ろうとした」って思える。
完璧じゃなくても、自分のために少し動けた。
その事実だけで、朝がゼロじゃなくなる。
“ひとつだけやる”が、もう一度自分に戻るスイッチになる
以前の私は、
「やるなら全部ちゃんとやらなきゃ」と思っていました。
だから、ひとつでも抜けたら「失敗」と感じていたし、
「またダメだった」と落ち込む朝ばかりでした。
でも今は違います。
ひとつだけやれた朝は、“自分に戻ってこれた朝”。
完璧じゃなくていい。戻るだけで朝は変わる
たとえば、
- 窓を開けるだけ
- 白湯を入れるだけ
- ノートを開いて、眺めるだけ
「やった」とは言えないくらい、ちいさなこと。
でも、それが“自分を思い出す時間”になる。
“私は私に戻れる”という感覚が、朝の希望になる
やらなきゃ、が苦しい朝も、
“やりたい”が出てくる日まで、
ここに戻ればいいと思える場所。
それが私にとっては、
“ひとつだけやる朝”でした。
「今日はダメかも…」の朝にも、ちいさな〇を
朝に完璧を求めると、
そのぶん“できなかった自分”を責めやすくなる。
でも、“ひとつだけ”できたことがある朝なら、
その日はもう、ゼロじゃない。
「できたこと」を見つける目を、自分に向けてあげる
- カーテンを開けた
- 白湯を入れた
- ノートを開いた(書かなくても)
それだけで、
「今日の私は、ちょっとだけ進んでた」と言える。
ちいさな〇が、朝をあたためてくれる
100点じゃなくていい。
60点でも、30点でも、〇をつけていい。
それがあると、次の朝が、ほんの少しだけ優しくなる。
「今日はダメかも…」と思った日にも、
あなたの朝には、ちゃんと〇をつけてあげてください。
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