朝がちょっとだけ好きになった日。それは何も“特別じゃない朝”だった

あの日の朝が、なぜかずっと心に残っている。

特別なことはなにもなかったのに、
「またこんな朝を過ごしたい」と思った。

静かで、淡々としていて、
でもなぜか、少しだけ“満たされた”朝。

それが私の、
「朝がちょっとだけ好きになった日」でした。

目次

ある日の朝、ふと「いい朝かも」と思った

その日は、予定が何もなかった日曜日。
目覚ましもかけずに、自然に目が覚めた朝でした。

布団の中でしばらくぼーっとして、
ゆっくり起き上がって、
部屋に入ってきた光がやさしくて。

なにげなく白湯を飲んで、
なんとなくノートを開いてみて、
何も考えずに書き始めてみた。

「今日はいい朝かも」って、ふと思った。
声に出したわけじゃないけど、
心の中でそう感じてた。

何かを頑張ったわけでもない、
充実してたわけでもない。

でも、それでよかった。

特別なことは何もなかった。それがよかった

あの日の朝を思い返しても、
誰かに話したくなるような出来事はひとつもなかった。

白湯を飲んで、ノートを開いただけの朝

白湯をゆっくり飲んで、
いつものマグカップの温かさにほっとして。

ノートを開いたら、
「今朝の空、ちょっと青かったな」と書いていた。

それだけの朝。
でも、なぜか心が落ち着いていた。

空の色や音、静けさを感じた時間

いつもは気にも留めない風の音や、
窓から入ってきたやわらかい光。

何もしない時間の中で、
五感が“今”に集中していた気がする。

スマホも開かず、テレビもつけず、
ただ静かな部屋で過ごした時間。

それだけで、
「今、ちゃんと朝を過ごしてるな」と思えた。

「心が整う」って、こういうことかもしれない

“整える”って、もっと努力が必要なことだと思ってた。

朝早く起きて、運動して、
白湯を飲んで、ノートも書いて、
やるべきことを順番にこなしていく。

そんなイメージ。

でも、あの日の朝には、
「これでいい」って思える気持ちだけがあった。

やることがうまくいくより、自分にやさしくなれた朝

予定通り動けたわけじゃないし、
何かを達成したわけでもない。

でも「まあ、今日の自分、悪くないかも」って思えた。

誰かに褒められたわけでもないのに、
ちょっと自分のことが好きになれるような感覚。

がんばってないのに、「朝っていいな」と思えた

あの朝にあったのは、
達成感でも充実感でもなくて、
“満ち足りた静けさ”だった。

それは、何かをしなかったからこそ感じられたもの。

「心が整う」って、静かに満たされることなのかもしれない。

またあの朝みたいに過ごしたい。それだけで朝が変わった

あの朝から、私は「朝を変えよう」と思ったわけじゃない。
でも、「またあんな朝を過ごせたらいいな」とは思った。

それが、私の朝の原動力になった。

「目標」じゃなく「記憶」が朝の原動力になることもある

朝活のために立てた目標は、
プレッシャーになることもあったけど──

「また、あのときみたいに」って思う記憶は、
なんだかやさしく背中を押してくれる。

あの朝みたいに過ごせなくても、
少しでも近づけたらうれしい。

そんな気持ちが、次の朝をちょっと楽しみにさせてくれた。

理想より、「あの感じ」がほしくて朝を整えるようになった

「何をするか」じゃなくて、
「どう感じたいか」で朝を考えるようになった。

あの朝みたいに、
静かで、ほっとして、
自分の呼吸が聞こえるような時間。

それが、私にとっての“整った朝”なんだと思う。

あなたにとっての「ちょっと好きな朝」はどんな朝ですか?

理想の朝活じゃなくていい。
SNSで見るような完璧なルーティンもいらない。

でも、なんとなく覚えてる朝。
「なんかあの朝、よかったな」って思える朝。

それって、きっとあなたの“心が整っていた瞬間”。

たくさんのことをしなくてもいい。
特別な準備もいらない。

その朝に、あなた自身がちゃんといたこと。
それが、十分すぎるくらい価値のある時間なんだと思います。

また、あの朝みたいに。
そんな記憶をたどりながら、
次の朝を迎えてみませんか?

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